1948-12-13 第4回国会 衆議院 逓信委員会 第3号
村内また勝地として石藏山の眺望、古殺最明寺、奇勝布佐窟、古戰場川崎の柵趾等、菱勝観光の客年を追うて増加し、從つて駅前の商店軒を並べて漸次市街化しつつあり。
村内また勝地として石藏山の眺望、古殺最明寺、奇勝布佐窟、古戰場川崎の柵趾等、菱勝観光の客年を追うて増加し、從つて駅前の商店軒を並べて漸次市街化しつつあり。
東洋釀造株式會社において處分したという砂糖は、會社の第一號倉庫にあつた千トン、第四號倉庫にあつた三百五十トン、合計千三百五十トンと稱せられておりますけれども、實際におきましては、その他に第二號倉庫、あるいは瓦倉庫、あるいは石藏等になお相當數量の白砂糖及び亂俵が存在しておつたことは疑いないところであります。
また第一倉庫にだけ千トンあつたというような先ほど小島君の御報告でありまするが、檢事局の取調べの報告にも、二號倉庫にも七十俵、石藏には九百袋、それから川野宅の石藏に三百袋藏されておつたということは報告されておるのでありまして、これらも皆入れて千三百五十トンと推定された數字になつておりますから、その點については、今後精密なる調査の結果正確なることがわかつてくるであろうと思いますが、決して無視したのではない
この砂糖は靜岡の檢察廳において取調べましたところによりますと、戰時中東洋醸造株式會社は原料砂糖を會社の二號、三號、四號、河野、石藏の五つの倉庫を使用保管していたものでありまして、昭和二十年八月終戰の時に約千五、六百トンの原料殘があつたと推定されるのでありますが、終戰直後海軍工作隊等海軍關係の者が二、三百トンを持つていたのであります。